時間とお金と幸せ

子育てしながら働きつつお金回りの読書をしていく中で、いまのところの自分の考えの軸が明確になってきた、な話。

個人的には最も求めるべきは自分の幸せ、幸福感。これは主に家族や友人と過ごしたり、自分の趣味に没頭することで得られる。ただしこれにはある程度の経済的、時間的な自由も要る。時間とカネと趣味と家族友人がないと俺はなかなか幸せを感じにくいと思う。いまのところは。

また、お金の書籍でよく見かけるのは「お金=時間(寿命)」という考え。時給単価とか、時間の切り売りとかそんなやつね。時間当たりのお金の産出量を上げましょう的な。

これらを合わせて、俺にとっての人生の目的はより多くの幸せを得ること。すなわち幸福(感)/時間を最大化することだと思っている。だから極論俺1人の人生なら生活保護(ベーシックインカム)が最適解だったりする。生活の質もたぶん極端に落とせるし。

しかしながらそこへ家族ありきの幸せとなると、最低限の稼ぎは要る。稼ぎがなければ子どもや妻が不自由だからだ。

稼ぎは欲しい!でも時間を削りたくない!となるとどうなるか、会社の制度をしゃぶり尽くすことになる。具体的には育休を2カ月取ってきたり、残業が出来ない早出勤務の申請、部分休暇などだ。

これには正直すげぇ反発があった。定時でバンっと帰るスタンスは、サビ残が当たり前の我が部署では許し難いものであろう。だが、そんなもんは知らん。残業が産出する周りの信用から得られる幸福と、早く帰って得られる家族からの信用から得られる幸福とを天秤にかけた、その当然の帰結である。

更に言えば出産・育児期の親の恨みつらみは、その配偶者に数十年単位で残りがちだ。例えば夜泣き対応しなかったとか、1番辛い時期に会社都合の飲み会出てたとか。町の主婦の方々200人にアンケートとったら450人はそう言うんじゃないかね?

職場の信用は一過性だが、家族の信用は離婚・死別しない限り半永久的である。信用を失った家庭から良質な幸福を十分量産出出来るとは俺は考えていない。仕事ばっかりな昭和のお父さんは案外お母さんからヘイト集めてたりする。(俺の職場のおばちゃん達調べ)

故に時間当たりの幸福量(将来に渡るものを含む)で考えると職場の信用を犠牲にするのは当然の帰結となる。

もっとも、俺は仕事が嫌いではないし、働かないおじさんになる気もない。なので仕事を振られれば時間内で120%の結果を出してポジションを確保してはある。

…まぁ場合によっては仕事を回避したり他の人にぶん投げることも厭わないクソ野郎の自覚はあるが。

ともあれ今のところ俺がすぐできるバランスの取り方はこんなんだが、もし金銭・出世ベースの考えよりも幸福産出量ベースで考えが強いのであれば、世の働く親御さん達はもっと仕事に充てる時間を犠牲にしてもいいと思う。

一過性の信用か半永久的な信用か。会社では倒産や部署異動、クビ、家庭では離婚、死別といったリスクがある。一方で会社は出世、昇給、社会的信用を、家庭は家族間の信用というリターンがある。これらのリスク・リターンを包括的に考慮した上で信用の割り振りについて今一度価値観の天秤にかけてみてほしい。まぁどっちも一過性の信用だろって人も居るけどそこはノーコメントで。

こんな感じで幸福産出量をベースに時間を配分する考え方もあって良いと思う。単に俺の派閥を増やして俺が生きやすくなりたいだけってのもあるけど。

いずれにしても、人それぞれの主義主張はあるかと思うが、我慢せずに可能な限り多くのお父さん方にはもっと幸せになってほしい。仕事に家庭に上の世代との価値観のズレ、様々なストレスの中でも少なくとも俺はいつも幸せになれそうな選択をしている。故に職場のヘイトを一身に受けて今日も定時帰宅じゃ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました