自分の立場から離れた1人の幸せも不可欠よねってお話
独身時から結婚したり子どもが生まれたりすると、自分の求められる家庭内での役割がだんだん変わってくる。具体的には家事や育児に時間を割かなくてはならない。
少し話は飛ぶけど、俺の持論として「1人でも幸せ2人でも幸せ」というものがある。これは3人でも4人でも適用されるが、家族が増える度に性質の違う幸せが得られるというものである。俺妻お姉ちゃんぼうや、俺弟ぼうやの組み合わせでもそれぞれ得られる幸せの性質が違うのでその分人生を楽しめるという心持ち。
しかし、妻との何気ない日常の会話や子ども達の成長に感動したりと、独り身の時とは違った幸せではあるが、それだけで満たされるわけでもない。ほんと貪欲で業が深い。人間そもそも1人でも幸せなのである。それどころか、この1人の幸せ、すなわち趣味が無ければ他が成り立たないのではとすら感じる。
2人以上となると、質の違う幸せは得られるが、求められる役割や義務が生じるのである。夫・父と家事育児や教育とかそこらへん。友人との飲み会など別の形で得られる幸せもあるが、他人を巻き込む以上はコントロールは難しい。やはり役割や義務とセットであり、疲れることもあるだろう。
さて、一人の幸せに話を戻すと、俺の場合土日の朝4時台に起きてゲーム、家事しながらYouTube、筋トレ(自重・ホームジム)あたりが一人の幸せである。金も大してかからないのでホント経済的。が、なぜこの時間かというと子ども達が起きてくる前でないと出来ないからである。子どもが起きたら父親モード、妻が起きたら夫モードを求められる。子どもといないいないばあを観たりゴミ出しの準備とかそんなん。
極論1人の幸せとは趣味と趣味に充てられるだけの自由であり、悪い表現だと思うが不自由なりに日々その自由を捻り出しているのである。
そしてこれが妻の場合はオタ活や友人と話すことになるという。1人で服を買ったり渋谷のTSUTAYAでEテレ番組のアルバムを大人借りするとか、アフタヌーンティーを楽しむとか。妻と俺の大きな違いは1人の幸せで他人を要するか否かと金がかかるか否か、そしてこの自由の捻出が俺の存在無くしては成り立たないというくらい。
妻の場合は時間と場所を縛られがちな趣味なので家と子どもは任せろって言っている。妻は趣味や仕事がなければストレスで家庭を包み始めるので、それに比べればパートタイムワンオペ育児の負担は安いもんである。
前述のとおり俺や妻の様に、どのご家庭のお父さんお母さん方も何かしらご自身の趣味があると思う。既に実施している方も多いとは思うが、パートナーに対し家庭での役割から離れ自由に趣味に没頭出来る時間を作ってあげることをおすすめする。睡眠時間と趣味の時間の確保は家庭でのストレスの総量を減らして幸福の総量を増やすものである。
人間もともと1人でも幸せなのであり、その上に2人以上の幸せがあるものである。ストレスが溜まって家庭内で垂れ流す前に父とか母とかの社会的役割から1個人に戻って幸せを求めることも不可欠だと思う。だから俺はこのブログでだらだらと私生活を垂れ流すし、ゲームや筋トレに没頭したりする。
これはパートナーも同じなので、可能な限りパートナーとすり合わせてお互いに時間を確保しあうのがおすすめ。例えばうちでは妻のTwitterや漫画を読む時間を意図的にとっているし、飲み会やアフタヌーンティーは無制限にいってらっしゃいだ。妻の一人や二人以上の幸せの確保を家事育児のルーティンと同じくらい優先している。代わりに余程のことがない限り俺の朝の時間に対して妻が何か要求することはない。取り決めによる住み分け。妻はタタラ場で生き俺は森で生きる。
世のお父さん方も一人の幸せの確保に勤しんでいることと思うが、パートナーのそれについても尊重し、取り決めておくのはいかがだろうか。子育てのストレスが溜まるようなら、日々の時間の使い方の見直しと同じくらい自分の「一人の幸せ」の確保を重視してみるのがおすすめ。「家庭の幸せ」はお父さんお母さんの「一人の幸せ」を土台に、「二人の幸せ」「三人の幸せ」と積み上げて成立する。節度あるオタ活は家庭を救う。
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