夫婦の子育て観と新人指導

夫婦間の子育ての立場って職場の新人指導と構図が似てるよねってお話

先日妻の兄の家族(甥っ子2歳、姪っ子3ヶ月あり)の家に遊びに行くことがあった。

義兄さんはサラリーマン、義兄妻さんは保育士さんであるが、様子を見ているとどうも違和感を覚える。義兄さんの子ども達とのコミュニケーションがとても少ないのだ。ほぼ姪っ子ちゃんを抱っこしていただけである。

一方で義兄妻さんは2歳の甥っ子に昔ながらの叱り方をしたり、かわいいかわいいとうちの子達と遊んでくれたりと保育士さんらしいムーブをしていたので対照的だ。

特に目立ったのは甥っ子ちゃんを叱る場面。歩道では手を繋ぐ、走らないという内容なのだが、鬼気迫る形相・肩掴んで揺さぶる・大きな声・注意内容の細かい説明と昔ながらのショックで学習させるもの。それを義兄さんはただ傍観し、叱られた後のフォローもしていなかった。

俺ならそんなんまずやらない叱り方だったが、虐待でもないので他所の家庭に首突っ込まんとこと冷ややかな目をするに留めたがそれはさておき。家に帰った後妻とこの話題になった時、一つの仮説を立てた。義兄さんは義兄妻さんから育児における発言権を制限されているのではないかと。

先述のとおり、義兄妻さんは保育士さんであり、謂わば育児のプロである。ちなみに何回かしか会って話をしてないがプロ意識もとても高い。そんなプロに対して新米父親から意見されたとて何も知らんくせにとか、何をやらなくちゃならんか分からんくせにとか言われててもおかしくはないかなと。

ちょうどベテラン職員が新人指導してる時に新人から意見されたって時と同じ構図。

義兄夫婦からなんとなく見えるものを敢えて表現するなら、妻から夫への言われたことだけやっとけ感である。

義兄妻さんが極端な場合なのかもしれないが、この仮説、夫婦は新人指導と同じ構図説は割と多くの家庭に当てはまるのだと俺は考えている。産休中に母親学級等で知識を蓄え、子どもと接し続ける母親と、意識的に知識を蓄えねばほぼゼロベースの知識と育休を取らない限り育児経験も積めない父親とではスキルの差から育児への発言権の均衡を保てないのは当然であろう。

この不均衡が生むのは分業か支配かのどちらかだ。すなわち、育児は全部母親がやるから手を出すな、もしくは育児は全て母親がやるから言われたことだけやってろというものである。育児における決定権はおろか発言権まで失うと男は辛い。とっても辛い。

さてではどうすべきかだが、うちの場合はこの構造を妻に伝えた上で階段の昇降を提案した。つまり、育児のスキル差があるという前提に立った上で妻に降りてきてもらう努力をしてもらう、一方で俺はスキルを積む努力をするという合意形成である。…なんか当たり前のこと言ってるな俺。

さておき、妻にも先の例のとおり新人指導で喩え、我々の育児における発言権には不均衡が生じている、そしてそれは構造上の問題であり、解決出来ると力説した次第である。これは分業・支配制では俺も妻もストレス溜まって幸福が遠のくと考えているからだ。

結果ある程度話を聞いてもらえた。よかったよかった。

さて、階段昇降の他にも方針があるが、それはこの構造を理解した上で完全分業・支配制とするというもの、俺は嫌だがこれは家庭次第。

いずれにしても義兄さん家がどう見えているかと、当事者がどう思ってるかは当人の問題なので、皆んなが幸せに育児していればそれでいいと思う。

世の中の育児世帯が幸せになることをお祈りしつつ、俺は今日も登るフリして妻の足を引きずり下ろす努力をするのである。

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